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【名馬コラム】ダイナマイトダディ 競馬の厳しさを教えてくれた四白流星のアイドルホース

ダイナマイトダディ
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誰からも愛される四白流星のアイドル

競走馬には怪我がつきものなのはわかっている。怪我のせいで、本領発揮できずにターフを去っていく馬たちを、何頭も何頭も見てきた。

仕方のないことだと割り切ってはいるが、順調だったらなぁと思わずにはいられない馬もいる。

その内の一頭が、ダイナマイトダディである。

栃栗毛のキレイな馬体で、顔面には大きな流星。四肢に白いソックスを履いたような四白流星のダイナマイトダディは、そのルックスからも人気を博した。種牡馬を引退して余生を過ごしていた牧場にも、毎年ファンが訪れていたというアイドルホースだった。

父サクラユタカオーの初年度産駒で、京成杯、中山記念、京王杯SCと重賞3つを勝ち、ユタカオーの種牡馬としての価値を大いに高めてくれた孝行息子でもあった。

さて、そんなダディは怪我に振り回される人生だった。

京成杯を勝ってクラシック路線に乗ったと思われたのもつかの間、右前膝を骨折してクラシックを棒に振った。復帰してから中山記念→京王杯SCを連勝し、安田記念で5着に好走。今後の活躍が約束されたと思ったら、またしても右脚を骨折してしまう。2度目の怪我は、復帰までに2年8カ月を要することになってしまった。

星を掴み損ねた勝ち気なダディ

ダイナマイトダディは、勝ち気な性格で負けん気の強い性格だった。負けるのがイヤだったといい、競走馬として必要な勝負根性に長けていた。

しかし、体ができあがっていない若い頃から一生懸命に走るものだから、体がついていかなかった。その結果、無理をきたして怪我が慢性化したのかもしれない。

重賞3勝していても、GIを勝っていなければ、引退後の種牡馬人生は暗礁に乗り上げる。どんなに素質があろうとも、良質の繁殖牝馬は集まらない。活躍馬も少なくなり、血は淘汰されていく。

怪我さえなければ。順調でさえあったなら。

無事是名馬とはよくいったもので、怪我に泣かされたダイナマイトダディは名馬に成り損なった。いや、私を含め、彼のファンにとっては名馬である。一流馬になれなかっただけだ。

星を掴み損ねたとでもいうのか。昔、そんなマンガを読んだことがあるようなないような。

ダイナマイトダディはGIを勝てるだけの素質はあった。ダビスタならいくらでも種付けできようが、現実ではそうならない。いみじくも、競馬の世界は厳しいのである。

1995/01/22 中山
AJCC
芝2200m 良
9着酒井 58キロ 10頭 8人
2.16.9(8-8-9-10)
サクラチトセオー
1992/05/17 東京
安田記念
芝1600m 良
5着加藤 57キロ 18頭 2人
1.34.1(9-11)
ヤマニンゼファー
1992/04/25 東京
京王杯SC
芝1400m 良
1着加藤 57キロ 13頭 3人
1.21.6(3-3)
(バンブーパッション)
1992/03/15 中山
中山記念
芝1800m 良
1着加藤 56キロ 12頭 2人
1.48.5(2-3-2-4)
(二ホンピロブレイブ)
1992/02/09 東京
東京新聞杯
芝1600m 良
2着増沢 55キロ 10頭 1人
1.34.6(4-6)
ナルシスノワール
1992/01/18 中山
ニューイヤーS
芝1600m 良
1着増沢 55キロ 12頭 1人
1.33.4(5-2-2)
(ビーバップ)
1991/12/21 中山
クリスマスS
芝1600m 良
3着増沢 54キロ 14頭 2人
1.34.3(8-5-4)
スタビライザー
1991/11/23 東京
キャピタルS
芝1400m 良
12着増沢 54キロ 17頭 6人
1.23.3(6-5)
キオイドリーム
1991/01/13 中山
京成杯
芝1600m 良
1着増沢 55キロ 8頭 1人
1.34.8(3-5-4)
(ビッグファイト)
1990/12/09 中山
朝日杯3歳S
芝1600m 良
5着増沢 54キロ 13頭 3人
1.34.3(11-6-3)
リンドシェーバー
1990/11/24 東京
3歳500万下
芝1600m 良
1着増沢 54キロ 11頭 1人
1.35.9(2-2)
(サバンナロジェ)
1990/11/03 東京
3歳新馬
芝1400m 良
1着仁平 54キロ 9頭 2人
1.23.5(3-3)
(スタビライザー)

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