競走馬はいつでもリスクを抱えている
サラブレッドの死を前にすると、競馬ファンは美化したがるのだ。そして、死んだ馬が可哀想だとか、ローテが厳しいんじゃないかとか、無責任なことを言う。
テンポイントしかり、サイレンススズカもそう。ライスシャワーにサンエイサンキュー、ホクトベガ。たしかに死んで可哀想だ。それはわかる。
それでも競馬に事故はつきものだ。そもそも、あんな細い足で、なおかつあのスピードで走らされるのだ。怪我もするし、悪ければ死んでしまうリスクは、どのレースでもどの馬でも背負っている。それが競馬というものだ。
だから私は、競走馬の死に直面しても、ことさら彼らを美化したりはしない。もちろん、テンポイントは凄い馬だったし、ホクトベガの実績、能力は誰もが認めるところだ。しかし、ホクトベガが死なずにドバイワールドカップを走り終えたとしても、たぶん勝てなかった。 サイレンススズカも、きっとあの天皇賞でオフサイドトラップに負けていた。
私は、意図的にそう思うようにしてきた。勝った馬に失礼だし、それが競馬というものだと割り切っていた。
ところが、そんな私が今までに1頭だけ、こいつは絶対に勝っていたと思える馬がいた。
それが、1991年のスプリンターズS(G1)で命を落としたケイエスミラクルである。
競馬界に突然現れたスピードキング
ケイエスミラクルは、クラシックとは無縁の短距離馬。夏の北海道でデビューして、あれよあれよの3連勝。900万下特別の藻岩山特別では、なんと単枠指定となった。ミラクルは、いちやく夏の上がり馬として脚光を浴びるようになった。オープン初戦に選んだのはセントウルS(G3)だった。北海道の重い洋芝で勝ち上がったミラクルに、いきなり軽い芝のしかもオープン戦のペースは厳しかったようだ。まさかの10着に大敗。しかし、彼はその大敗で軽い芝のペースに慣れてしまった。
次走のスワンS(G2)は、ダイイチルビー、バンブーメモリー、ダイタクヘリオス、ラッキーゲランなどのバリバリのオープン馬を向こうに回して真っ向勝負。1分20秒6は、当時のレコードだった。
マイルCSをはさんで、いよいよ本領発揮のスプリント戦、スプリンターズS。重賞3勝馬の名牝ダイイチルビーを差しおいて1番人気におされたミラクルは、トモエリージェントが超ハイペースで逃げるなか中団に陣取った。
3角過ぎらからまくり気味にスパートをかけたミラクルは、直線入り口で先頭をうかがう勢い。そこからさらに加速しようとエンジンをかけた瞬間、ミラクルはがくんと態勢を崩して失速していった。
きっと、その加速は行ってはいけない領域だったんだ。美化しちゃいけないと思いつつ、彼の死だけは美化ではない! 真実である! と自らを納得させるのである。彼のスピードは速すぎた。そして、産まれてくる時代も早すぎたのだ。
1991/12/25 中山 スプリンターズS 芝1200m 良 |
中止 | 岡部 55キロ 16頭 1人 - ダイイチルビー |
1991/11/17 京都 マイルCS 芝1600m 良 |
3着 | 南井 55キロ 15頭 2人 1.35.3( 13-10) ダイタクヘリオス |
1991/10/26 京都 スワンS 芝1400m 良 |
1着 | 南井 55キロ 16頭 5人 1.20.6( 6-6) (ダイイチルビー) |
1991/10/05 京都 オパールS 芝1200m 良 |
1着 | 南井 53キロ 12頭 1人 1.08.4( 8-6) (サムソンクイーン) |
1991/09/08 中京 セントウルS 芝1200m 良 |
13着 | 南井 53キロ 14頭 3人 1.09.4( 3-3) ニフティニース |
1991/06/22 札幌 藻岩山特別 芝1200m 良 |
1着 | 南井 54キロ 11頭 1人 1.09.4( 3-3) (クインサンシー) |
1991/06/08 札幌 石狩特別 芝1200m 良 |
1着 | 南井 55キロ 12頭 1人 1.08.5( 3-1) (サムソンクイーン) |
1991/05/11 新潟 わらび賞 芝1600m 良 |
2着 | 佐伯 55キロ 13頭 1人 1.36.8( 2-1) ボードセイリング |
1991/05/04 新潟 未出走 芝1400m 稍 |
1着 | 佐伯 52キロ 13頭 2人 1.23.5( 2-2) (シンコウヤマト) |
1991/04/20 新潟 未出走 芝1600m 稍 |
2着 | 佐伯 52キロ 12頭 1人 1.37.2( 9-7) パリスハーリー |